ガッキーになれない私たち
引用:新垣結衣 | アーティスト | レプロエンタテインメント
気になるキーワードをもとにのんびりとネットサーフィンしていると、素晴らしいブログや記事の数々と出会えるのがすごく楽しい。
人生のためになる話、全くためにならない話、どちらでもいいけれど他人の意見を取り入れ知見を広げると、脳がすごく活性化している感覚に浸れてなかなかの満足感がある。(ちなみに全くためにならない話のほうが圧倒的に好き)
そんななか、先日『ガッキー』というキーワードでのんびりネットの海を漂っているとこんな記事(とブコメ)
を発見し、思わず「うわっ!マジかよ!俺以外にもガッキーになりたい人ってこんないっぱいいるのか!」と心の中で驚きの声をあげた。
そう、俺はガッキーになりたい。
どういうことですか?
「何言ってんだコイツ…???」という読者の皆様の渋い顔、それも苦虫を噛み潰したかのような渋~~~い顔が目に浮かぶ。
でもまぁ、そういうことなんです。読んで字のごとくです。そう、私は、いや、俺はガッキーになりたい。
『獣になれない私たち』というドラマでほぼ毎回のようにガッキーが訪れる場所に『5tap』というクラフトビールを飲ませてくれるバーがある。
そこの店主を務めるタクラマカン斎藤がこのドラマ唯一の癒しなのだが、それはまた別の機会に話すとして、そのバーでビールを飲むガッキーがまぁ、美しいこと。
ビールが美味しそうに見えるのは、撮影技術やら、バーの雰囲気の良さやらいくつかあげられると思うのだが、そのどれよりも、なによりもガッキーが飲んでいるというその事実が大きい。
そんなシーンをまじまじと見ているとだんだんこう思ってくるのだ。
「あー……ガッキーになりてぇなぁ…」
と。
だってガッキーの美貌ってすごくないですか?
ドラゴン桜、ギャルサー、マイ☆ボス マイ☆ヒーローのころはマジで天使みたいな見た目してて、ガッキーが微笑めば半径3キロ圏内にいる陰の者が浄化されて昇天する。そういう威力がありました。
マジでガッキーがアイドルやってたら3000年に一度の奇跡として3000年さんのあだ名が定着していたに違いない。落下女でコントやってたころのガッキーとか無敵感が半端ないもん。前述のドラマに関しても、とてつもねぇ美少女が棒読みでギャルっていうのがたまらなかった。
そして伝説のポッキーのCMですよ。あの謎ダンス。恋ダンスが流行るずっとずっと前にはもう若者を中心に謎ダンスが流行っていた。あの頃はオレンジレンジもメジャー中のメジャー。ドメジャーでした。
そんなガッキーの奇跡の美貌は大人の女性になっても変わらず、コード・ブルー、リーガルハイ、逃げ恥、どれを見ても衰え知らずで、メルティーキッスが溶ける前に私の脳が蕩けそう。そんなガッキーなのであります。
この完璧超人、新垣結衣の存在に気付いた直後はそりゃあ「もしもガッキーが彼女だったら」みたいな妄想をすることはあった。実は素のガッキーは結構性悪だったりするのかな?でもまぁそれも含めて全然オッケー!みたいなことを悶々と考えていたこともあった。
しかし不思議なことに最近はガッキーとお近づきになりたいというよりも、むしろ「俺自身がガッキーになる事だ」のほうに妄想が飛躍することが多くなってきた。
ガッキーの恋人役の田中圭でも、ガッキーとベットイン(ただし寝落ちして未遂に終わる)した会計士・税理士役の松田龍平でもなく、ガッキーに可愛がられる(?)ダメダメな後輩役の犬飼貴丈でもなく、ガッキー。そう、ガッキーそのものになりたいのだ。
好きが過ぎるとこういう思考になるんだなぁと我ながら驚いているし、読者の皆様におかれましても、まるでサイコパスの手記を見ているようでさぞかし恐怖されているかと思われますが、分かりませんかね。この感覚。
別にモテたいとか、注目を浴びたいとか、ましてや男を捨てたいとかそういうことではなく。なんていうかこう……ガッキーになりたい。(語彙力ゼロ)
もしも明日の朝起きてガッキーになっていたらどうしよう。そこには一体どんな人生が待っているのだろう。まだまだ妄想は尽きないのである。
そうだなぁ、とりあえず胸を揉むかな。