【映画レビュー】『人魚の眠る家』は心にズッシリくる哲学的な物語でした【ちょっとネタバレ】
ここのところ篠原涼子をよく見る。
晩飯を食いながらボーッとテレビを眺めているとバラエティー番組に出るわ出るわ。持ち前の明るさと少し間の抜けた天然キャラがお茶の間に好印象なのか引っ張りだこ。
けれど、ひとたび女優モードになればバラエティーで見る篠原涼子とは180度違う、アンフェアの雪平のようなカッコいい女性になったりする。しかも演技チョーうまい。
そんな篠原涼子がテレビに出るたびに宣伝していた主演映画、『人魚の眠る家』が2018年最も泣ける映画らしいので、濁り切った心を浄化するために観てきました。
以下、その感想です。どうぞよろしく。
泣けるというより考えさせられる深イイ話
結論から言うと、監督:堤幸彦、原作:東野圭吾、主演:篠原涼子、西島秀俊という時点でかなり期待していたのだけれど、しっかりその期待に応えてくれる面白い映画だった。
当初の予想では事故にあった愛娘のために家族が最善を尽くすハートフルな物語なのかと思っていたのだけれど、実際に観てみると全くハートフルじゃなかった。
むしろ、暗く、重く、それでいて哲学的な深く考えさせられる、心にズシッとくる物語でした。
簡単にあらすじを説明すると、2児の母である播磨薫子(篠原涼子)と、その夫でありとあるIT機器メーカーの経営者である和昌(西島秀俊)の夫婦関係はとっくに冷めきっている状態で、娘の小学校のお受験が済み次第、離婚することになっていた。
しかし、そんな夫婦のもとに娘がプールで溺れ意識不明の重体であるとの知らせが入る。意識不明のまま目を覚まさない娘を心配するが、あるとき医師から娘は脳死であることを告げられる。
脳死とはいえども身体は機能している。『脳死=完全なる死』とすぐに割り切れない夫婦は最先端科学の力で娘を延命するのだが…。という、『死の定義』を考えさせられるストーリーになっている。
あちらこちらに涙腺にグッとくる場面があるし、きっと自分に子供がいたらと想像するだけで涙腺が爆発しそうだったのに、これ本当に同じくらいのお子さんがいる人が見たらもう身体中の水分が持ってかれるんじゃないかと思うくらい悲しいのだが、ただ単にお涙頂戴のうっすい話ではなく、映画を観終わった後に良い意味でも悪い意味でも心にズッシリくる重厚なストーリーであるところは流石、東野圭吾作品であると思わされる。
しかもまたこれが物語が進めば進むほど辛さが増していくのなんのって。
序盤は目を覚まさない娘を目の前に悲しみに暮れる家族の姿、それが最先端科学の力によって少なからず救いがありそうな、ほんの少しだけ希望の光が見えるような話だったように見えたのだけれど、娘の身体は生きているから髪や肌の艶もよくなっていって、まるで本当に眠っているだけのように安らかな表情をしていて。
それを近くで見続けた(世話をし続けた)薫子のなかに徐々に狂気が満ちてきて、挙句、最愛の娘に手を上げようとするまで追いつめられるところなんてもう……辛すぎるでしょ。
ここだけ見るとすげぇハートフル映画
ちなみに日本の法律では心臓が完全に止まらなければ死亡とは診断されないことになっている。
これは2010年の臓器移植法改正によるもので、事故にあった本人の事前の意思が確認できない場合には、家族の承諾により臓器提供をできるようになった。これは当時かなり大きな問題となり、激しい議論も繰り広げられた。
劇中にも娘の脳死を告げられた際に医師から臓器提供の意思を尋ねられたが、これは『臓器提供をする=脳死の判定』が正式に行われ、ここで初めて脳死か否かが確定する。ここで脳死だと正式に判断されることによって法的に死亡の扱いになり、このあとに臓器が摘出されることになる。
一方、臓器提供をしない場合は脳死を判断するテストが行われないため、正式に死亡と言う判断を下すことができない。当然、『生きている人=死亡していない人』からは臓器は摘出できない。法律上は生きていることになるため、劇中のように延命治療を受けることができる。
こうした事実を頭に入れたうえで本編を見ると、愛娘のことを純粋に想う親の気持ちと、法的な判断・それを受けたうえでの周囲の反応などがよりリアルに感じられるようになって更に物語にのめり込めるんじゃないだろうか。(私は映画を観た後に調べて知りました)
ちなみに脳死の状態にありながら身体が動く娘の姿は一種のホラーというか、人体実験の映像を見せられているような気味の悪さがあったのだが、これフランケンシュタインじゃんと思って『人魚の眠る家 フランケンシュタイン』で検索したら同じようなことを言ってる人がたくさんいて、あぁやっぱみんな同じ感想なんだなと思った。
キャストの演技力も素晴らしかった
篠原涼子の演技が上手いって冒頭に書いたけれど、やっぱ篠原涼子ってすげぇわ…。
あの子を一心に想う母から、徐々に狂気をはらんだサイコパスに変わっていく様がすごすぎる。
特にクライマックスの警察に対して「脳死状態の娘を殺せば、自分は殺人犯になるのか」と聞くシーン。これは遠回りに娘が生きているという証明が欲しいため(殺人犯と判断されれば、それはつまり娘が生きていた、自分の手で初めて死んだことになるということになるから)という思考に至るまでの、というか精神が壊れるまでの過程がしっかり描かれている。
そしてとにかくそれを演じる篠原涼子が流石すぎる。これそんじょそこらの売り出し中の女優じゃ出せない狂気だし、リアリティだよ。
この憔悴しきった表情…つらい…
西島秀俊のちょっとドライすぎん?という反応も、娘の死を受け入れられないという父としての感情と、世間一般の感覚として娘はとっくに死んでいると認めざるを得ないという大人の良識とが葛藤しているからこその、あの演技だったんじゃないかと。
また、医者の進藤を演じた田中悦司はもはや本当の医者にしか見えなかった。
淡々と回復の見込みは乏しいという事実を伝えつつも、親御さんの気持ちは分かりますという人間味のあるところがまたグッとくるんですよね。
あとはそうだなぁ、また川栄がいた。川栄李奈がいたよ。
あ、と言っても全然disってるわけじゃないです。純粋にすげぇなって。AKBやめて唯一成功してるんじゃない?ドラマも映画も引っ張りだこじゃないか。
ドラマに出たての頃は「あー、やっぱりねぇ。所詮はアイドル枠か。」と思ってたのに、今や大人気女優だもの。実際、演技も嫌味とか変な癖がなくて結構好き。
逆にクリーンな役どころが多い気もするから、クセが強いキャラも演じられるようになったらマジで無敵じゃねぇの?とにかく川栄すごい。
川栄がデートしてるとこ見るとオリックスのCMが始まりそうでドキドキする
是非、自分の目で見て考えてほしい
ということで結末は是非とも自身の目で確かめてほしいのでネタバレするのはやめておきます。
まぁ、落としどころとしては綺麗だったんじゃないかと。あー!あれが伏線だったのか!とか、ここにきて更に泣かしに来るのか…とか。個人的にはこういう終わり方は嫌いじゃない。
私は本作を観たことによって素直に感動出来て、死に対する価値観が変わって、明日から親しい人にちょっと優しくなれるような気がしました。上質なヒューマンドラマを観たい人はオススメの映画です。
読者の皆様もこれを観ればきっと、愛しさと切なさと心強さを感じられることでしょう。それでは。